外に出る時は、たった一つしかない眼鏡が壊れるのが怖いからと、裸眼で出るようにしている。これでも意外と大丈夫だと気付いた。車のライトが向かってくるくらいのことは判る。

いつもは長い時間起きて、二度目のシャワーを浴びて、もう一食食べてから寝るのだが、さすがに 起きていても、何もする気力がなくて、シャワーを浴びてから早々に寝てしまう。
シャワーといっても、ガスを契約していないから、電気ケトルで沸かした湯を 水でうすめて、容器に入れて 浴びている。実際、これで、ガスが止まったり 給湯器が壊れる不安材料が一つ減って、洗体という作業が 以前より怖くなくなったし、寒さにも強くなった。

あれだけ 息も荒く 怯えていたのに、疲れていたのか、寝つくことができ、一度寝て起きても、何もする気力がなく、いつもしているように、ヘッドフォンをして、ネットラジオを 茫然自失としながら聞いて、ただ早く夜が来ることを願いつつ過ごす。夜は 侵入して来ないから 安全なのだ。それは昔と変わらない。ものを食べられるのも夜だけだった。

あのまま放置したら、解約されるのだろう、ずっとPCに張り付いているわけにもいかないのに、返信をしないと怒る。そして大家と警察を引き連れて、侵入してくるに違いない。
この国では、子供の人権などないに等しい。親の稼ぎで買ったものなら 子供のものを親が盗んでも、子供の秘密を親が覗いても、何の罪にも問われないのだ。だから、親に扶養されている分際で、勝手に部屋に入られても、ただ安否が心配だからとでも言えば、警察は何の躊躇もなく乗り込んできて、私を異常者扱いして、この部屋を追い出そうとするだろう。

ドアノブに紐を巻き付けて、シンク下の扉に結わえて固定し、施錠をしたから、時間は稼げる。そして、もし この暗闇がやぶられる時が来たらどうするか と考えるが、用意をする行動力もない。

ずっと日記を書きためていて、それなりに惜しむ気持ちもあるが、歳をとってすっかり 物に対する執着心というか、この世への未練が薄れてきた。というより、執着をなくそうと努めてきた。世は はかないものだから。いくら執拗にバックアップをとろうと、学のない者どもの目には、何もないに等しい。
自分で振り返っても、過去の言葉の残骸はもう意味を持たない。あざやかな今あってこその価値なのだと知る。

ベランダから脱出して、街をさまよい、山の方に逃げたとしても、途中で捕まるだろうし、山の中で生きることなんて、現代ではもはや不可能なのは分かっている。すべてが人に支配されていて、ただ自由に生きることすら許されない時代になっていることも分かっている。
それでも、ファンタジーのように、獣や虫までもが 自分にやさしく、桃源郷のように、だれもいない森の中で たった一人きりで、自然だけを友として暮らしていく、そういう夢をみることで、すこし慰もる。
自害するイメージを持つことも、かなしいけれど、唯一の突破口として、癒される。死にたくなどまったくない。ただ他に術がないから、そこに向かうしかない。病理は社会のなかにあるのに、それを今の時代は、当事者自身の問題として、メンタルヘルスとして、切り捨てるのだ。